憲法22条VSお酒好きなトラックドライバー。AUDIT高得点者に、就業上の措置は可能か?
全日本トラック協会が、ITARDAデータをもとに作成した貨物自動車の事故統計を公表した。令和5年度版は最新である。
この中で、トラックドライバーの飲酒運転の最新情報が記載されている。
冒頭で、業界団体のトップが「この問題」に言及している。
物流の危機といわれる「2024年問題」がスタートし、国を挙げて物流の第一線を担うトラックドライバーの処遇改善や、労働環境の改善、悪しき商慣行の見直しが着実に実施されている中、令和6年5月には社会的影響が大きい事業用トラックによる甚大な被害を生じさせた重大事故が相次ぎ、また、反社会的な飲酒運転事案の増加など、国民に安心・安全を届けるべき物流業界としては、社会的信頼性を取り戻すべき重大局面にあります
そう、増加なのである。そう、2024年問題対処が喫緊であるのに、冷や水を浴びせるように。
このような重大事案が惹き起こされることによる貴重な人材の物流業界からの流出の食い止めや、これからトラック運送業界を目指そうとする若年者などが安全で安心して働ける物流業界となるためには、トラック運送業界すべての関係者が「交通事故を絶対に起こさない」という意識改革が必要不可欠です。
そう、若年者は、事故が(しかも飲酒)日常にある業界なんて、くるはずがない。悪いイメージは、残念ながら世代をこえて受け継がれてしまうものだ。
こうした状況に鑑み、事業用トラックが関係する過去の交通事故から学び、事業用トラックが関係する交通事故や飲酒事案根絶のためにも本資料を活用していただくことで、より効果的な事故防止対策につながることを期待申し上げます。
そう、活用しよう。トラックの数々の漫然運転や、飲酒運転。結果起きている事実は深刻だ。
トラックにおける飲酒運転死傷事故は、この10年、コロナ禍を除くと、少し減ったに過ぎない。
飲酒運転事故の分析で重要なのは、事故時や検挙時の「数値」である。実際、処分も数値で変わってくる。何より、事故時・検挙時の数値は「飲酒行動・飲酒習慣の質」をあらわしていると一般的に言われる。
上記を違うグラフで表してみる。
「酒酔い」レベルで飲酒運転し、死傷事故。ドライバーは一体どういう飲酒習慣だったのだろう?
知りたいところだ。
高濃度飲酒者。高濃度飲酒運転者。令和5年、恐ろしいほどハネ上がった。第一当事者は、どういう飲酒習慣だったのか、AUDITをやると何点くらいのひとなのか?
知りたいところだ。
0.25未満とはいえ、仮に0.2だとしても、相当な酒気帯び状態だ。どういう飲酒習慣だったのか?
知りたいところだ。
0.15以下ということだろう。高濃度事故者より明らかに少ない。
ハイリスク飲酒者(プロドライバー)
酒酔いと0.25以上を、ハイリスク飲酒運転者(高濃度なのに運転行為をした)と定義してみる。
0.25以下と基準以下をローリスク飲酒運転者(高濃度ではないが運転行為をした)と定義してみる。
「リスク」の意味はいずれも、アルコール依存症のリスク(本人や家族にとって)という意味と、危険運転を行うという社会にとってリスク(反社会的行為)、二重の意味において、である。
あきらかにトラックドライバーの飲酒事故は、「高濃度」、ハイリスク飲酒運転者によって引き起こされていると言えよう。
このグラフから、トラックドライバーの飲酒運転とは「二日酔い、残酒」系ではなく、「高濃度状態で飲酒運転している」系のほうが常に(この10年間は)多いようだ、と言える。
寝酒の習慣が、という見立てもあるが、そのようなレベルではないと考えるのが自然であろう。
繰り返す。0.25以上、酒酔いのほうが多いのである。高濃度系の方が多いのである!
教育・啓発という予防措置と、「発見」という措置。
ひとつの仮説。
「トラックドライバーに、残酒のリスクを教育・啓発する」ことを施策の中心に置くことは、ハイリスク飲酒者の方が多いわけだから、効果的ではない(的がはずれている)わけだから、戦略として間違っているのではなかろうか?
トラック飲酒事故における高濃度事故者の比率は上がっている。これは何を意味するだろうか?
どういう対策(戦略)が適切、効果性が高いのであろうか?
例えば割り切って
1)AUDITの点数の低いひとは、知識ベースの・教育・啓発で充分
2)AUDOTの点数の高得点のひとは、教育だけでは足りず、介入・医療的措置。または、著しく社会規範意識が低い可能性があるので、就業上の措置を再考する
等。
現在国土交通省が行っている施策は前者中心である。トラック協会も後者の認識はあるものの、AUDITが義務化されていないことから、「介入しよう!の普及啓発」に留まらざるをえない状況に見える。
令和5年、ハイリスク飲酒運転者の雇用主(トラック企業)に率直にお聞きしたい。
徴候はありましたか? と。 事前に気づくことは難しかったですか? と。
群馬県伊勢崎の事故を見る限り、気づくことは難しいのではないか? 良い悪いではなく、実際難しいことなのだと認めることから始めるべきではないか?
一方、千葉県八街市の事故の場合、周囲は気づいていました。しかし、事故は起きた。
気づいていたけど止められなかった。
気づかなかったので止められなかった。
これらケースを無くすためには、まったく違う手法で臨む必要があろう。
気づく仕掛け(AUDITの義務付け)と、気づいたときの措置(介入や、就業上の措置の義務)、が必要と考える。
問題はその強度だ。
ガイドラインやキャンペーンではなく、指導監督の告示改正、AUDIT未履行行政処分、就業上の措置(労働基準法)の緩和等がないと、事業者としては動きづらいであろう。
AUDIT高得点者は、トラックドライバー職につく「憲法22条 職業選択の自由」を行使しうるか?
伊勢崎トラック事故を見る限り、シンプルだが重要な問いを発しなければならなくなった。
「職業ドライバーに多量飲酒の自由(権利)はあるのか?」
「職業ドライバーの飲酒習慣は、プライベートに踏み込むことに該当しない」
賛否両論あろう。だが、検討会や国交省や法務省や内閣府は真剣に議論してほしい。
「旅客運送・貨物運送事業者に対し、職業として運転(操作)に従事する者に対し、署名要りのAUDITを義務付け、点数によっては就業上の措置として運転業務に従事させないことを義務とする」
職業選択の自由が憲法で保障されている。
だがしかし。それは「公共の福祉に反しない限り」においてである。
飲酒運転に対して社会や被害者が常々問うているのは、0.25以上で路上にいる緑ナンバートラックドライバーは、「公共の福祉」に反していないだろうか? ということである。 いつ自分が被害者になるかわからない という言葉は、公共の福祉のことを言っているはずだ。
「私はAUDIT高得点者だ。お酒大好きでやめるつもりはない。運転に自信があるベテランだ。点呼も受けている。アルコールチェックも「点呼時」にやっている。トラック運転が大好きなのだ。何人たりとも私の職業の選択を妨げることはできない!」
これを是とするか、しないか。
交通安全対策基本法は、そもそも「公共の福祉の増進」を主目的としている。
本記事の最後に、群馬県伊勢崎のトラック事故の被害者遺族の方の 素朴だが真実の問いを引用したい。
” そこまでお酒を飲みたいのなら、なぜトラックのドライバーをやっていたのか犯人に聞きたい。会社の方も、もうちょっとなんとかならなかったのか ”